9.14.2011

毒になる親

 先日、母と長い時間を一緒にすごし、今まで漠然と考えていた「老いた
親問題」が、より現実味のあるものになりつつあることを実感した。

遅かれ早かれその時はくるわけで、心だけではなく、物理的な準備が必
要になってきたということらしい。
 

Amazonをつらつらと眺めていたら、この本を見つけた。

うちの親には困ったものだ 〜老いた親とうまくつきあう方法

そしてもう一冊、

毒になる親

これも購入した。

以前からあるのは知っていたけれど、なんとなく手に取れなかった。
わたしが乗り越えなければいけない壁は、まずはここにあるらしい。


わたしは、中学生くらいの頃から、母のことを気の毒なひとだと感じて
いた。親として、人として許せないこともたくさんあるけれど、自分を
コントロールすることができないかわいそうな人だと思っていたのだ。
もちろん、一番かわいそうなのは自分だったけれど。

一緒にいればけんかになるし、いらいらする。
わかり合えないのなら、面倒無く過ごすために、地方の大学に行ったの
を機に、家からでてしまった。

大人になった今でも、母のことは好きではない。

ぼけたのをいいことに(まだぼけてないけど)虐待やらなにやら、そんな
ことをするつもりも全くないし、
もちろん育ててくれた恩はあるので、捨てるつもりもない。
きっちり、最後まで看取る覚悟はしている。

わたしが一番嫌なのは、母の思いつきに振り回されて、心を乱されるの
が嫌なのだ。

できることなら母の望むようにしてあげたい。それで喜ぶのならそれで
もいいじゃないか、と思うが、その度に、母の気まぐれに振り回され、
腹も立つし悲しい思いもする。
もう何百回となく繰り返してきたことを、未だに繰り返してしまう。

「毒になる親」には、まったくそのとおりのことが書いてあった。

この本では、親と対決しろと書いてある。

対決といっても、決闘をする訳でも、改心させるわけでもなく、もちろ
ん決別は最悪の最後の手段である。

どのように本心を伝え(その結果は重要ではない)、これからの自分の人
生を親の支配から解放させるか、そのための自分のための対決が必要と
ある。
対決の儀式を行う事で、親が果たすべき責任を親に返し(親が受け取るか
どうかは重要ではない)、子どもの頃に植え付けられた、ネガティブで複
雑な感情の支配から、精神を解放する事が目的なのだ。

心理学や哲学や小説から得た知識で、漠然と考えていた事を、セラピス
トが言葉にしてくれている。
わたしが考えていたことは、間違ってなかったんだよ、と言われたよう
で安心した。

今まで、まったく思いもしなかった重大な発見は、
子供に害をなす行為を黙認していた片親も同罪だということ。

何もしない片親に対し、愛情、あるいは同じ被害者だとして同情を感じ
るのは、子供の置かれた立場からはよくあることだけれど、親としては
無言で加担していたということだ。

結局、 自分自身で乗り越えるしかないのだけれど、
当事者だった子供の時よりも、この年齢になった今こそ、誰かに聞いて
ほしい。誰かに話したいと強く思った。

今は「人生を顧みる」タイミングらしい。

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